たまくんとの勉強日記

中学受験を最終目標とした長男タマくんとの勉強日記です。まだ低学年ですが、通塾などの習い事を通してタマくんの成長をご紹介しています。

自分の中学受験時を振り返ってみました!②

前回の記事の続きです。

小学6年生の秋にやっと親公認となった私の中学受験。志望校が決まってからは、ひたすら過去問を解いていたと思います。

受験校は3校。私立中学に無知な我が家は有名大学の付属校くらいしか知らなかったので、全て塾にお任せとなりました。

今では当たり前となってる1月のお試し受験で千葉や埼玉への遠征といったプランは一切ありませんでした。(他の子は、やってたのかもしれませんが・・・)

塾が選んでくれたのは、いずれも進学校

初日に受験する学校が本命。当時の私の偏差値からすると、ちょっと高めでチャレンジ校でした。二日目は滑り止め校(第三志望)。そして三日目に実力相応校(第二志望)という設定です。

一校目で合格を勝ち取れれば御の字。ダメだった場合も二校目で確実に合格して三校目につなげるというのが塾の戦略でした。

塾が一生懸命組んでくれたプランでしたが、思い通りにはいきませんでした。

我が家は7人家族。祖父、両親、そして兄弟4人と、とても多かったです。そして、誰かが家に風邪を持ち込みパンデミック発生で私も感染。1月最終週は熱がひどくて学校はお休み。最終日の塾での出陣式も残念ながら参加することが出来ませんでした・・・。

 

 

そんな状態で迎えた本命校の受験。前日まで熱はありましたが、当日は何とか下がり、受験することが出来ました。

しかし、二校目。今でもはっきりと覚えています。一科目目の試験が開始して、すぐに私は気持ちが悪くなり、試験どころではなくなりました。我慢の限界をむかえ、手をあげ試験官に気持ちが悪いと伝え、途中退席。保健室で休むことになりました。

暫らくベッドで休んでいると、大分気分も楽になりました。ただ、試験はもう駄目だなと思って帰ろうとしたところ、学校の方から、この保健室でなら退席した時間から試験再開が可能だと言われたので、そのまま受験させて頂きました。対応が親切で、とてもいい学校だなと思いました。
なんとか無事試験を終えて学校を出ると母が迎えに来てくれていました。学校が家に連絡してくれたようで、駆け付けてくれたようです。
ブログに書いてて思い出しましたが、当時は一人で受験に行ってたんだなと思い、驚きです。他の子達はどうだったんだろう?我が家が特殊だったのかな!?。。。

家に帰宅すると、塾からも電話がありました。先生からは「よく頑張ったな!」と激励の言葉があり、明日に備えて今日は温かいものを食べて早く寝るように言われました。決して、今日の受験の感触を聞くような野暮な質問は無かったと思います。

そして、最終日。前日とは真逆で、ちょっとした奇跡がおきた受験でした。

次回にご紹介したいと思います。